つらたろの成り立ち

私が経験した不登校について当時を振り返りながら、残していきます!

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不登校になった私(家族構成などプロフィール)

今更ですが、

家族構成やプロフィールなどを

あまり詳しく書いていなかったな〜と思い出し

書きますね😂

 

今まで急に出てきて

誰やねんってなるなぁって思いました☺️

身バレ防止のため少しだけフェイクを入れたりします。

 

☆私 (当時)

高校1年生 女

地元の進学校へ進学。

運動は好き。大会などへ出場をしたりしていた。

性格→真面目、頼まれたら断れない。

割と明るくしているけどめっちゃ根暗

悪口を言わない、嫌いな人なんて居ないよ〜と言うタイプ

 

☆母親

キャリアウーマン、しっかり者

コミュニケーション苦手?

関わりが薄いため少し怖いけれど、

一緒にいたい、甘えたい願望があった。

祖父母と仲が悪い。

 

☆父親

サラリーマン、週末は家にいる。

あまり喋らない。祖父母の言いなり感がある。

勉強をしないとめちゃくちゃ怒る。

 

☆姉(当時)

大学1年生 私への劣等感が強い。口が悪く

よく当たられていた。かと思えば機嫌が

良ければ「一緒に遊ぼう」と寄ってきた。

進学のため一人暮らしをしていた。

実家にいるときは

祖父、父親とよくケンカをしていた。

 

☆祖父母

昔の考えが強い。勉強しろ。自己顕示欲強め

怖い。母親を嫌っていた。祖父は自分を敬え感。祖母は私をよく可愛がってくれたが、

不登校になってから関わりがなくなった。

 

不登校になった私⑬

カウンセリングに行き始めてから

私は直ぐに変わらなかったけれど、

母親や生活が少し変わった。

 

今まで1人で寝ていたが、

母親と一緒に寝るようになった。

夜中、私の寝言が酷かったり、

うなされていたりと凄かったらしい。

私はよく寝てると自分で思っていたから

分からなかった😅

 

昼間は1人で母親と寝ているベットで

スマホをいじってみたり、昼寝をしてみた。

しかし、だれも怒らない。

 

昼間にスマホをいじっている最中に

自分の中で

(皆、学校行ってるよ。

こんなことしてていいの?

遊んでてごめんなさい。)

と出てきて、ゲームに集中出来なかったり

泣き出してしまったりした。

 

お昼ご飯は

母親がお弁当を作ってくれていた。

このお弁当が無ければ、私は

昼食を取らなかったと思う。

作ってくれたため食べたという感じだ。

 

祖父、祖母とは時間をずらして

1人で食べていた。正直、顔を会わせるのは

怖かった。祖父、祖母は父親と同じような

考え方をしているため、私を軽蔑すると

思ったからだ。

 

 

不登校になった私⑫

初回のカウンセリングに行ったあと

母親が

「どうだった?あの人で合ってる?

合わなかったら変えられるからね」

とカウンセリングの相性について聞いてくれた。

 

私は正直誰が合ってるとか分からなかったし

話は出来たから、合ってない訳では無いんだろうな〜と思った。

 

だから

「平気。」

と少しだけ返事をした。どうだったとかは

よく分からなかったからなんとも言えなかった。

 

そこから

カウンセリングに母親と一緒に通う生活が始まった。

 

カウンセリングでは

はじめエゴグラム性格診断?をやった。

よく覚えているのは

ACとA項目が異常に高く、

FCが異常に低い事だった。

 

ACとはアダルドチャイルド

従順した子供を表している。

FCとはフリーチャイルド

自由な子供の心を表している。

※気になる方はネットにも診断が

落ちてますのでやってみて下さい☺️

ただし、落ち込んでいる時、不安定なときは

やめましょう。少し昔の診断なので、

言葉にトゲがあったりします。

 

この診断で、私はあれ?私大人なの?

子供の心があんまりないの?

とビックリしました。

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不登校になった私⑪

 

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「少し東京にお出かけしない?

で、病院じゃなくてカウンセリングで

お話してみない?」

と母親は優しく話しかけてきた。

 

田舎に住んでいたため、東京は遠いし

学校の子にも会わない。

東京は面白くて楽しいところという

印象はあった。

それに、自分でも何とかしたいとは

思っていた。

 

 

そのため

行くという決心がついた。

 

 

カウンセリングの日

母親と2人でバスに乗り

電車で目的地まで行った。

 

久しぶりに外に出た。

東京の街並みは田舎とは違って

いろいろな看板や大きなビルがあって

外を見ているだけでとても楽しかった。

 

 

カウンセリングまで少し時間があっため

コーヒーショップで温かいココアを

買って貰った。

すごく美味しかった記憶がある。

 

 

カウンセリングでは

母親と別々で交代で呼ばれ

話をした。

 

 

カウンセリングルームに

入って話し始めた瞬間に

話したいこと、感情が爆発して

泣いてしゃっくりをしながら話をした。

 

泣くようなことではないところでも

自分の声で自分の気持ちを話している

ときに涙が出た。

 

 

何を話しのかはあまり覚えていない。

泣いていた記憶が多かった😅

 

 

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不登校になった私⑩

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週末は地獄だった。

 

父親と母親どちらも

家にいて、2人の前で立たされ

「これからどうするんだ。

将来中卒で生活なんかできない。

だから学校に行け」

と話される。

 

 

私は何時でも泣いていた。

何も話せず、泣いていた。

(分かっているけど、今は学校に行けない

消えたい。迷惑かけている。分かっている。)

ずっと思っていた。

 

 

 

しかし、ある日

母親が優しく話しかけてきた。

「少し東京にお出かけしない?

で、病院じゃなくてカウンセリングで

お話してみない?」

と…

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